あいさつ
ま あ ゆ お っ と (こんにちわ)
ヒルトガンアイランド、フィリピンの原住民のアミーゴたち。コミニケーションの基本、挨拶!
わたしが、ガイドで個人的にお伝えすることは、人間の基本の挨拶。
これくらいは、こちらのことばで
話しかけてみてください。ということ。
そうすることで、簡単に、彼らの心の扉が開き、笑顔や愛が返ってくる。
日本語の授業をしている、ゴルゴ松本さんは、日本語は、挨拶の愛にはじまって
最後は、恩で終わり、また、それが戻り、循環すると伝えている。
なので、愛を、みんなに振りまくのだ。
すると、恩が返ってくる。
この間、このヒルトガンの村の中を
15分ほど歩く弊社のツアー途中に、サンダルが切れた女性がいた。
こちらとしても替えがないため、裸足で歩いてもらう以外にない。
そうして、歩くこと、2分ほどで、貧しい原住民の方々が、(あなたどうしたの?裸足で。わたしのを使いなさい)
と、自分の真新しいサンダルを差し出してくれた。
何の見返りも求めずに、こうしてくれる
住民の女の子に、胸がグッときた。
愛って素晴らしい。
約束のトラウマ
わたしには、過去のトラウマがあります。
約束に関するトラウマ。
わたしは、約、18年前に離婚を経験しています。
その妻とは、わたしが、無免許の罪で
施設に入ったときに、何があっても
待っていると、固い約束をしたものの、わたしが出所してきたときには、
もう既に家にはいなくなっていました。
わたしは、それからというもの、
人生が変わりました。
性格も変わりました。
どう変わったかというと、約束を
守らない人を見ると、激しく怒りをぶつけていくようになりました。
無論、暴力というものではなく、しかし、口やメッセージで、破壊的な内容を伝えてしまう。
自分では望んでもいないのに、その相手との関係をわざわざ壊すことを言ってしまう。
このトラウマのおかげで、わたしは、
これまでに多くの友人、恋人、パートナーを失った。
ここ、セブ島に来て、こちらの人は、
日本人に輪をかけて、とにかく約束を守らない。。笑笑
そんな中で、ここでも大切な友人を1人、ぼくから、切った。
望んでもないのに。
しかし、その後、約束は、*1という、フィリピンの習慣の中で
免疫がついてきた。笑
これは、凄いこと。
ぼくが、約束を破られても、平気な顔をしていられるように変わってきた。
笑
フィリピンのルーズな人民との関係を
続ける中で、ぼくのトラウマが、
徐々に、溶解してきているようなのだ。
わたしの人生は、このトラウマの影響で、かなりの損失を受けたが、
フィリピンに来たことで、どうやら、今後の人生に素晴らしいことが起こりそうなのだ。😊
これまで、キレた人々にお詫びを言いたい。
ごめんなさい。
*1:破られるもの
セブ島の子供事情
セブには、とにかく子供が多い。
行く場所行く場所で、子供を見る。
会社の日本語が堪能のフィリピン人に
理由を尋ねてみた。
すると、フィリピンでは、子供を下ろすと、法律で罰せられる為だと言う。
即ち、子供を堕ろすことは、人殺しと
みなされ、刑務所に入るということらしい。
フィリピン人は、スペイン移民のラテン気質だから、フレンドリーで、沢山の女性とまざわるため、こちらの女性で、スタイルも顔もよく、いい女で、
彼氏や旦那がいないと言うと、必ず、
子供がいるのだ。
なぜかと、考えたら、いい女は、もう
既に、どこかの男の手にかかっているということになる。笑笑
けれども、日本と違って、望まない妊娠でも中絶をしないため、子供つきの
シングルマザーが増えるという、スパイラルらしい。
これがフィリピンで、声かけの結果、判明した事実なのだ。笑笑
少子化の日本は、こんなフィリピンを
見習った方がいい。
子供を堕ろす女性は、
刑務所。
ちょっと厳しい気もするが、神が与えた命を、人工的に殺すのですから、
わたしは、あってもいい法律だと
感じるのは、どうかしているのだろうか?
挨拶と笑顔は、世界共通の解毒剤
昨日、仕事の後に、地元のショッピングセンターに買い物へ行くのに、また、懲りずにジプニーを使う。
このジプニーという乗り物は、観光客の間では、非常に危険な乗り物とされ
敬遠されている。
それは、これまでにジプニー車内で、携帯を触っていて、奪われたり、荷物やお金を盗られるということがあったからだという。
しかし、わたしは、試験的に乗っていて、10数回乗ったが、そんな兆しは微塵もなかった。
あまりに無防備な観光客にも、責任が
あるのではないかと、思ってしまうのはわたしだけだろうか?
ジプニーは、丁度、日本の山手線のラッシュさながらの窮屈さがある。
そんな中で、やはり、車内の空気は、
鬱蒼としやすい。暗い表情で乗車している人も多い。
そんな時には、目つきの悪いお客さんに目がつき、つい、(こいつ、おれの
携帯狙ってねえかな!、)また、(おれのカバン狙ってねえかな!)なんて、気になってしまい、そう思われた相手も、
鏡の反射で、よく思わないもの。
なので、わたしは、自分から、乗客に
話しかけることにしている。
その言葉は、やはり、挨拶だ。
現地のビサヤ語で、(マアユブンタン)
"おはよう)と話しかける。
それも、満面の笑顔でだ。
今回も、そのおかげで、となりに座っていた、シングルマザーが、ショッピングモールまでの行き方と、ジプニーとトライシクルの乗り換えの方法をつきっきりで教えてくれたどころか、
ジプニー代を払ってくれた。笑笑
流石に、貧しい貧困層に奢ってもらうわけにはいかず、頑なに固辞したが
本人は、聞かない。
なので、気持ちよく奢ってもらった。
と言っても、たったの7ペソ。
ま あ ゆ ぶ ん た ん
と、笑顔で大きく、女の子に話しかけた。
子供は、シャイな子らしく、照れ笑いし、そっぽ向く。
それが、おもしろくて、覚えたての
ビザヤ語で、あいしてる、(ギヒクン
マティカ)というと、今度は、顔を真っ赤にして、照れ笑いし、俯いてしまう。笑笑
そんなやりとりを見ていて、周りの
暗い顔した乗客も笑顔で、どっと笑う。
そして、ビザヤで、何やら、フィピン人同士で、盛り上がり出した。
ビザヤを色々と教えてくれたりもした。笑笑
暗い空気が、いっぺんに、天国のように変わった。
そして、わたしのショッピングモール行きのトライシクルに行き先が同じだからと付き添ってくれた、写真のシングルマザーは、トライシクルの中で
(わたしは、シングル、あなたは、優しい。紳士。わたしは、恋人もいない、シングル、シングル)と話してきた。
これは、なんだか、変な流れになったなあ、と思いでも、好意を無にするのは、なんだか、悪くて、OK!フェイスブック友達になろう!と言って、
とりあえず、FB友達になった。
ジプニーで事故に遭い
セブに来てから、安いのをいいことに
タクシーに乗りまくってて、後から気付いたら、結構、タクシー代がかかってたので、ここ数日間、フィリピンの庶民の足と呼ばれてる、ジプニーに
乗っている。
わたしの住むマクタンから、街中のセブシティまでは、1時間ほどタクシーで
走るが、ジプニーだと、1時間40分ほど。
それは、この車が、ところどころお客を拾いながら、ゆっくりと走る為。笑笑
そんなわたしの乗るジプニーが、昨日、追突にあった。
凄い衝撃に、ごつん、という音!
運転手は、怒って降りて、何やら、後ろからぶつけた車のところまで、歩いて行った。
しかし、ものの、2〜3分で、運転席に
帰ってきた。笑笑
手には、数枚の20ペソが握られていた。
こっちの事故とは、そんなもんなのか!!!
愕然としたが、ほかの乗客と皆で、
笑って過ごした。笑笑
事故
同じマンションに住むこの車椅子の
おじさんは、ドイツ人ということだ。
この方がまた、社交的な人で、いつもいつも、帰るたびに、窓や扉は開けっぱなしで、なにやら、パーティみたいに賑やかにしている。
というか、いつも開けっぴろげのオープンマインド。笑
子供はたくさんいて、いつも、騒がしい。
ふと、仕事の帰りに、そこの部屋の前に置かれたテーブルで、コーヒーを
いただいた時に、どうして、この人が
このように、下半身が不自由なのか
聞いてみた。
すると、20歳の頃に、スイムの飛び込みで、首を痛めて、それからずっと
下半身が不自由なのだと教えてくれました。
わたしは、それを聞いて、またまた、
自分の20歳の頃の、背骨を圧迫骨折した、トレーラーとの事故のことを思い起こしてしまった。
あの時は、首の骨だけでなく、胸椎まで、かなりの骨の変形を残す骨折をした。
普通なら、脊損で、今頃、この人と同じ生活をしてるはずなのだ。
まるで奇跡的に助けていただけた、
あの事故を思い起こし、自分を奮起させるような出会いでした。
有り難い、そして、もったいない。
そんな思いが、込み上げてきました。
そして、おしどり夫婦のこの奥様との出会いを聞くと、今日が11周年記念の
お祝いの日だと教えてくださいました。
この2人は、旦那さんが、下半身が不自由になったのちに、出会っている。
なんて、ステキな夫婦なんだろうか。
その辺の健全な肉体をもつ、富裕層よりも、ずっとこの2人は、幸せ数値が
格段と高い。
僕も、こんな奥さんがほしい。
と思った瞬間でした。
事故
同じマンションに住むこの車椅子の
おじさんは、ドイツ人ということだ。
この方がまた、社交的な人で、いつもいつも、帰るたびに、窓や扉は開けっぱなしで、なにやら、パーティみたいに賑やかにしている。
というか、いつも開けっぴろげのオープンマインド。笑
子供はたくさんいて、いつも、騒がしい。
ふと、仕事の帰りに、そこの部屋の前に置かれたテーブルで、コーヒーを
いただいた時に、どうして、この人が
このように、下半身が不自由なのか
聞いてみた。
すると、20歳の頃に、スイムの飛び込みで、首を痛めて、それからずっと
下半身が不自由なのだと教えてくれました。
わたしは、それを聞いて、またまた、
自分の20歳の頃の、背骨を圧迫骨折した、トレーラーとの事故のことを思い起こしてしまった。
あの時は、首の骨だけでなく、胸椎まで、かなりの骨の変形を残す骨折をした。
普通なら、脊損で、今頃、この人と同じ生活をしてるはずなのだ。
まるで奇跡的に助けていただけた、
あの事故を思い起こし、自分を奮起させるような出会いでした。
有り難い、そして、もったいない。
そんな思いが、込み上げてきました。
そして、おしどり夫婦のこの奥様との出会いを聞くと、今日が11周年記念の
お祝いの日だと教えてくださいました。
この2人は、旦那さんが、下半身が不自由になったのちに、出会っている。
なんて、ステキな夫婦なんだろうか。
その辺の健全な肉体をもつ、富裕層よりも、ずっとこの2人は、幸せ数値が
格段と高い。
僕も、こんな奥さんがほしい。
と思った瞬間でした。